2011年夏
2009年の四国行で日本縦断を終えた平田先生、以後は友人との気ままな旅を満喫しています。今年は長良川沿いを北上、郡上八幡から中津川、そして佐久間へと長良、飛騨、天竜と中部日本の3河川沿いを楽しむ旅でした。

3月の東日本大震災、昨年同様に夏の猛暑と1000年に一度ではないか、と思えるほどの異常気象である。
5年前に東北地方を走り、三陸の美しいリアス式海岸に心が洗われた。地震の第一報を聞いた時には、高い防波堤や巨大な鉄の防潮扉が目に浮かび、万全の準備があるから大丈夫と確信していた。
しかし津波はそれをはるかに越えて押し寄せた。自然は人間の力の及ばないものであるとつくづく再認識させられる。
今年の自転車の旅は炎天下の中、震災復興を祈念しながらただひたすらのペダリングであった。

8月11日(岐阜羽島〜関〜郡上八幡 89km)
博多発6:30の新幹線にて出発、新大阪で乗り換え岐阜羽島へ。
今回の旅もこの数年恒例となっている友人S君T君との同窓会である。
ひと列車遅れて新大阪から乗る予定のS君に空いているので自由席で大丈夫ということを連絡したら、何と同じ列車乗っていた。T君は車で岐阜羽島に向かっているが東名高速道路が混んでいるので到着が遅れると連絡が入る。
岐阜羽島に着くと「T君に聞いた」と同級生のM君夫妻がポルシェ・パナメーラで登場。短時間ではあったが数年ぶりの懐かしい再会をして、彼らは奥飛騨の旅へ。
小生はS君に荷物を預けひと足先に出発、大垣市の「墨俣一夜城」近くに先輩が開業しているので立ち寄るが、休診でお会いすることができなかった。
猛烈な炎天下の中、関市へ向かう。
迷いながら予定コースと違うJR岐阜駅脇を抜け156号線出る。
廃線(名鉄美濃町線)としばらく並行して走り途中で人に聞きながら関市へ到着。
関での目的は二つ。一つは昼飯を辻屋のうなぎ丼にすること。
うなぎが大盛りでご飯の中にまでサンドイッチされていて香ばしくうまかった。
もう一つは子供のころからの患者さん(F君)が刀鍛冶の修行をしているので見学すること。刀匠藤原兼房さんのところで修行をはじめて6年、日本刀作りに精進する日々を垣間見ることができた。
関からは長良川沿いの国道156号線で郡上八幡へ、景色は良いが道幅が狭く、大型トラックがスピードを出して追い抜いていくのでひやりとする。
しかし、トラックもだらだら登りで時速20km/hの自転車は気になるところであろう。ヘロヘロになり本日の宿泊地「ホテル積翠園」に到着。
車組は街を散策しているので風呂へ入りくつろぐ。
夕食は豪華「里山の葉月会席」。鮎刺し鮎塩焼きから揚げと鮎尽くしであった。
夜は郡上名物盆踊り。
友人達は浴衣に下駄履き姿で出かけ堪能したようだが小生は炎天下、火あぶりの刑で布団にダウン。

本日の走行データ
T:3:58
D:88.6km
M:49.2km/h
A:22.2km/h
本日のコース

8月12日(郡上八幡〜飛騨金山〜白川町〜加子母村〜中津川 120km)
午前6時時起床、朝風呂につかりT君に車で郡上八幡の街を案内してもらう。
朝食後8時出発、いきなり九十九折の堀越峠へ、日陰でまだ涼しいのが救いであった。
時折ちらりと八幡城が見えだんだん遠く小さくなっていく。標高は560mとそんなに高くないがウォーミングアップ無しなので堪えた。
峠の頂上から金山までは緩やかな下りで快適、飛騨川沿いの国道41号線も快調なペースで飛ばす。白川町で左折して茶畑と白川沿いの県道62号を走る。この辺りからだんだん暑くなり道路情報標示は35℃、時々ボトルの水を首や足にかけながら体を冷やす。道路のわずかな登り勾配を足が感じ、一人で愚痴る。
加子母に着く手前で車組と合流し道の駅「茶の里東白川」で昼食とする。周囲に飲食店がないので大混雑、その上名物朴葉寿司は売り切れ。近所のおばさん達が混んでいてもていねいに料理しているのだろう、注文した冷やし中華が出てくるのに30分かかった。
加子母から裏木曽街道といわれる国道256号へ、ゆるやかなアップダウンだがフォローの風で結構スピードは出ていた。街の中で何回か人に聞いて予約しているホテルルートイン中津川に午後3時前到着。車組は約30分遅れて着き車で20分程の「馬篭の宿」へ連れて行ってもらう。
ここは中山道の宿場で、山の中をきれいに整備して昔の面影を残す観光地としてリフォームされていて大勢の観光客でにぎわっていた。地方都市は寂れる一方でシャッター通りが増えているが何か見習う点があるのではないだろうか。
戻る途中「クアリゾート湯舟沢」で一風呂浴びる。
夕食はホテル隣の「創作料理さくら」
一日の〆はコインランドリーで2日分の洗濯。

本日の走行データ
T:4:45
D:114.2km
M:63.9km/h
A:23.9km/h
本日のコース