毎年5月の連休を利用して、Dr.Kは2〜3泊程度のツーリングを楽しんでいます。長い付き合いの朝練仲間も同伴することが多くたいていは珍道中になるのですが。これまで、仲間内で話を聞いて楽しんでいましたが、それだけではもったいないのでここでご紹介することを快諾していただきました。ただ、ほとんどは写真班がおりません。文字だけになることも多いですが、ナニ、その分はじけ飛ぶ親父ギャグの嵐をお楽しみ下さいまし。50代後半以上の親父でないと分からないものがあるのでできるだけ注釈を付けていますが、あんまりベタなものはさすがに放置プレイをしております。m(_ _)m
ところで、いただいた原稿を打ち込んだ後しばらくはATOKが変な変換して困るんだわ。
まぁそれは読んでいただくとよっくわかると思います。

2014北アルプス上高地 白骨温泉の旅
<承前>
ゆっくりと時間が流れていく。ここには日常の慌ただしさも都会の喧噪もない。白濁のお湯に浸り、身も心もまったりとほぐれていく。今日は時間に追われることもないのだ。湯煙の中、昨日のことを思い出していた。
220人の患者さんの診療をとバタバタと終え、一度家に立ち寄り家内の診察と治療を済ませ(急に高熱を出したのだ…)19:30発の新幹線に何とか飛び乗り、慌ただしくこの旅が始まったのだった。

5月2日(博多〜名古屋 新幹線で輪行
JR名古屋駅前のビジネスホテルに宿泊
5月3日(名古屋〜高山 60km 標高差1,400m)
高山駅へ降り立つ。何とも懐かしい…。些か旧聞に属するが、38年前、18歳の夏、この高山駅こそが私にとって初めての自転車ツアーの出発点であったのだ。あの時はハイテンの重いランドナーに、前後左右たくさんの荷物を積み込み、いきなりこの平湯峠の洗礼を受けた。ここ高山で七転八倒した苦い思い出がある。高山七転である。
平湯峠は延々25kmに及ぶ長い峠だが、38年前よりもかなり楽に感じられた。自転車が圧倒的に軽いためだろう。
この長い登りには所々覚えがある。記憶と言うより感性に近い。懐かしさに時々目頭が熱くなる。汗と涙が頬を伝いしたたり落ちていく。38年前の汗が染みこんでいる路面に…。
遅ればせながら、今回参加のメンバーを紹介しよう。まず私が自転車の師と仰ぐアサノ先輩、今回も見せてくれた切れ味鋭い大胆なコーナーリング、大胆ニック号である。才気煥発の国士は青の9号さん。ケイデンスも軽やかにスイスイ上っていく。因みに私はDr.Kでんす。盟友のT橋先生、皆からとても慕われている。桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す人格者である。軽佻浮薄な私も少しは薫陶を受けたいものである。ますますおなかに貫禄が出てきたのは、ミッキーさん。病院にかかってもなかなかやせないらしい。やせん病院である。50歳のお祝いにやせ薬を処方することにした。最年少は新進気鋭のイノウエちゃん。春秋に富む44歳である。最後は私ことDr.Kでんす。いつの間にか56歳。年取ったことがとてもショック、老いるショックである。

平湯峠(トンネル)を越え下ると平湯温泉。ここも良く覚えている。この先の安房トンネルは自動車専用道なのでタクシーに身を託し、釜トンネルへと向かう。釜トンネルより先は、もう上高地である。そういえば38年前には、ここ上高地のホテルの軒先にシュラフで寝た思い出がある。シュラフ大統領である。上高地はガスがかかり槍ヶ岳、穂高連峰は生憎望めないが、大正池、河童橋、梓川と雰囲気は十分堪能できた。空模様も少し怪しくなってきた。怪しや三平である。ハア〜先を急ごう。
宿泊地の白骨温泉まで再びタクシーで向かう案も出たが、一蹴し勇躍走っていくことにした。ここで走らなかったら一生とても後悔するだろう。大後悔時代である。釜トンネルを抜け白骨へ向かう。途中、いくつか長いトンネルがあるが、下り基調。軽く流していく。流します監督である。最後、白骨への上り、タクシーの人たちが手を振ってくれた。合点承知の助とばかり手を振り返す。

しかしこの先、坂もっと急になるのだ。上を向いて走ろうって15%の激坂、気息奄々、もはやレームダック。矢折れ刀尽きてそれでも私は登っていく。敵千万人と雖も我往かん。不撓不屈のサイクル魂、走りの美学である。お前はナルシストか? この苦しみの中でカタルシスを得ようとでも言うのか? 些か自己陶酔し過ぎていないか? 
やがて前方に白骨温泉の湯煙が見えてきた。深山幽谷のこの温泉、ずっと憧憬の念を抱いてきた。白濁のお湯、花鳥風月自然の中に溶け込んでいつまでも浸っていたい。まったりと温泉三昧、そして羽化登仙の宴。まあまあ酒でも飲みねいと思わず羽目を外し、おしっこが漏れそうになる。フランソワーズ漏れションである。地酒の冷酒がとても美味しい。やはりロード乗りには冷酒が似合う。ロード冷酒である。