2014年11月(補充三次の旅)
足かけ3年にわたり走破した「東海道五十三次」ツーリング。Dr.Kから、新たな原稿をいただきました。何はともあれお読みいただくとして、諸般の事情で写真が私の手元に1枚しか届いておりません。入手でき次第、追加するということでご容赦下さい。

「嗚呼 T橋先生! ここまで来て、京を目前にして…」
1年前のあの鈴鹿峠の悲劇。爾来、堅忍不抜の思い出堪え忍んできた日々。夢にまで出てきたあの山中の信号。1年前、断腸の思いで友を置き去りにしてきたあの山中の信号に、今こうして戻ってきた。私は、そして友は万感の思いがこみ上げ、この信号の前でただ立ち尽くすのみであった。
そもそも今回のツアーの目的は3つあった。1つ目は、もちろんあの忌々しい鈴鹿峠の悲劇により旅の途中で中断を余儀なくされたT橋先生に捲土重来を果たしてもらうこと。2つ目は近江の国の歴史、文化、自然に触れ、日本最大の湖、琵琶湖を周遊すること。3つ目は、五十三次シリーズで江戸から京都まで繋いできた道程をさらに大阪まで伸ばすこと。
やや欲張った旅だったが、幸いメンバーと天気にも恵まれ、畢竟目的を完遂できた。
さはさりながら今回の旅がすべて順風満帆にいったかというと実はさにあらず…

11月2日(鈴鹿峠〜雄琴) 90km
乗り換えの京都駅のホームにサドルバッグを置いてきてしまった。
のっけから私がそんな大失態をやらかして、出発が1時間も遅れてしまった。しもうた景樹! 輪行で移動中の不祥事、移動中不祥事である。このためあの山中の信号まで戻るのはあきらめ途中から走ろうという意見が大勢を占めた。
しかしそんな皆を必死で説き伏せ、絶対に山中の信号まで行くぞと不撓不屈の精神で立ち向かう。さもなくば一生悔恨の念にかられるだろう。
行くか行かぬか迷った時は必ず行く。不器用かも知れないがそれが私の生き方である。まあそのためにこれまでの人生、失敗したことも多々あったのだが…。
そしてあの山中の信号へと涙の到着。友よよくぞここまで戻ってきたと、喜色満面称え合う。しばし真の思考停止状態で立ち尽くす。この地より草津宿、大津宿へと向かうが途中何度か通り雨。えっ、こんな所であめ降っと? ならば止むまで待つとうや由実。二度の雨宿りで急場をしのぎ危機を逃れる。急場危機であったが何とか事なきを得た。
大津ではすでに暮色騒然、しかしまだ宿泊地の雄琴温泉まで10kmを残している。緊褌一番、渋滞する車の横をすり抜け、50T×11Tをガンガン踏み倒し、無事雄琴到着。ああ大事