大分市の高等教育機関で教鞭をとる情報工学博士・徳安達士さんは学生時代、登録選手として活躍していました。就職をし家庭を持ち、趣味として楽しく自転車と付き合う道をいったんは選びます。
ところが、研究助成金について調べているうち、ヤマハ発動機スポーツ助成財団の活動を知り、再び情熱が戻ってきます。国内ではマイナースポーツでしかないロードレースの魅力と自らの情熱を訴えて、見事第2期生に選ばれました。
幸せと引き換えに影を潜めた強さを取り戻すために練習を再開、大分〜久住120kmのコースをave.30km/h独走できるまでに回復。2008年7月20日〜8月24日の間、憧れのフランス自転車留学を実現させることができました。これはその貴重な体験レポートです。

   
Mon Tour de France, −私のツールドフランス 10年の夢の果て−

722日、福岡空港から大韓航空を乗り継ぎパリに到着、今回フランス遠征をコーディネートしてくれるエスペランススタージュの久保さんと、空港出口で無事に合流できた。 挨拶を交わしたあと、すぐに車で7時間の移動、ツールドフランス観戦のためにグルノーブルまで一気に南下する。
睡眠不足と時差ぼけと旅の疲れでヘトヘトになってしまい、ようやく眠りにつけたのは、大分の自宅を出発してから約
24時間後、現地時間午前1時半だった。

翌日は5時起床で出発。2時間ほど移動して,久保さんの 人脈により,ツールドフランス第17ステージの選手村に特別に入れてもらえた。夢見心地で村内を歩き回る。現地でも手に入り難いレアなアイテムも手に入れることができた。ツールドフランスに関する情報は日本にも新鮮なまま入ってくる。しかし,見たり読んだりすることとは遥かに鮮度の違う。ツールドフランスの壮大さに感動した。

ツールドフランス第17ステージ。
cyclingtime.comにはこのように紹介されている。
「アルプス最後にして最強。ツールは第17ステージで最大の山場を迎える。210.5kmという距離もさることながら、超級山岳が3つも登場する最難関山岳ステージだ。79km地点で超級山岳ガリビエ峠(標高2645m)、156km地点で超級山岳クロワ・ド・フェール峠(標高2067m)、そして最後は超級山岳ラルプ・デュエズ(標高1850m)を駆け上がる。幾多の名勝負が繰り広げられてきたこの九十九折りの上りは平均勾配7.9%で距離13.8km、上り始めの勾配は10%を越える。ツールの代名詞と言えるこの名所でマイヨジョーヌ争いはクライマックスを迎える。この日の獲得標高差は4500mオーバーだ」
参考URL:http://dx.cyclingtime.com/issue/tdf2008guide/couse/parts.html#18

このコースを先回りし、雰囲気を味わいつつラルプデュエズ頂上前2.5km地点で観戦した。観客の熱気と 圧倒的な情熱に唖然としながらも、誰が先頭で上がってくるのか1時間ほど待ちわびた。早く着て欲しいようで、ずっと待っていたいようで複雑な心境だった。
次第に歓声が下から湧き上がってきた。カルロスサストレが独走で駆け上がってきた。初めて見る本物の走りに、全身が震えた。この激坂で疲労困憊のはずなのにどうしてこんな速度で上がって いけるのか、応援を忘れ、サストレの走りを目に焼き付けた。

それからマイヨジョーヌの集団が競り合いながら走っていた。シュレク兄弟は本当に細い。エバンスはかなりきつそう、追い込んでいるのがわかった。
それからしばらくするとカンチェラーラにフォイクトが走り抜けていった。平地に強く登り向きじゃないといわれる選手がこれほどの登りをこなすのだから、自分がいかに力不足であるか、現実を見せ付けられた感があった。

山頂に着く頃にはレースは終わっており、僕らも帰路に着いた。下りの途中、車のなかで意識を失い、気がつけば家に着いていた。
ホームステイ先の家では、アイスクリームとコーラでもてなしてくれたが、僕にはもう余裕がなく早く寝たかった。
翌日も朝から移動し、選手村の雰囲気を楽しんだ。それからツールのコースを先回りして、第3カテゴリー山岳で観戦した。途中、クネゴが落車したようで集団のペースは遅い。しかし、第3カテゴリーといってもメチャクチャな傾斜できつい。平均勾配ならラルプデュエズよりきつい気がした

選手の通過を見送った後、僕らはリジョンの町を経由してノルマンディに移動した。
この移動も長かった。長時間運転する久保さんは本当にタフな人だ。当然、僕は車の中で意識が飛んで、気がつけば高速の休憩所、そしていつしかElbeufのアニーさんの家に到着していた。